どうも、うつブロガーのポモ子です。
仕事は楽しんでいますか。
仕事は「楽しい」だけではなく、ストレスは絶対についてきますよね。
- 成績、成果を求められるプレッシャー
- 人間関係、いじめ、ハラスメント
- 労働環境、待遇・・・etc
全て問題のないという方はこれからお話する内容はまったく関係がありませんのでこの記事は読まなくてもいいと思います。
わたしは「うつ病」をはじめ過去に「不眠症」、「パニック障害」、「不安障害」、「過眠症」、「過食症」などの精神疾患を患いました。
いまは実家で療養することで「うつ」症状のみで通院しながら生活をしています。
はじめてうつや不眠症を発症した経緯についてはこちらをお読みください。
この記事では「過重労働」と「プレッシャー、ハラスメント」などから人生で2度目のうつ病を発症したことについて体験談をもとにまとめています。
- こんな方に参考になる記事です
- ・労働環境やストレスで精神的につらい
・好きな仕事だから続けたいけど悩んでいる
・通院しながらだが頑張って働いている
私自身も思い出すとその時のことが鮮明によみがえるため、読んでいて「精神的つらい」場合は無理せずに途中でやすんでくださいね。
早速休職期間から仕事につくまでの日々などについてお話していきましょう。
お仕事復帰や自立を全力サポート | 就労移行支援のCocorport(旧社名:Melk)
退職からリハビリの日々へ
IT企業に勤務しているときにはじめて「うつ」を発症し、後に休職をしました。
私は同じ会社に復職することができませんでした。同じ会社に戻ることを考えるだけで心が休まりませんでした。
わたしを鼻で笑った上司に会いたくない。
同期に哀れみのまなざしで見られたくない。
「腫れ物」扱いされたくない。
いま考えると余計なプライドだったのかもしれないですが、思い出すだけで手が震えだしてしまう。
電車に乗れない。乗るのが怖い・・・
これでは復職はかないません。
よって退職を選びました。けれど妙に「解放」されたような気持ちが強くて、頭に乗っていた重石がとれたような気分になりました。
「傷病手当金がつきる前に仕事を探そう。」そう思いましたが、いきなり正社員になる自信はありません。
ちょうど季節は11月。
年末年始の繁忙期に向けて宅配業者が短期の事務アルバイトを募集していました。
病院の先生に仕事をしてもいいのか相談して「短時間で日数も短いなら」ということでOKをもらいました。
アルバイトで体を慣らす「リハビリ」生活のはじまりです。
いままで経験のない業種で簡単な事務処理だけ。期間がきたら終了するという気楽さがすごくよかった。
久々に社会に出られたという自信や充実感を得て体調はどんどん良くなっていきました。
この頃はすごくいい思い出になっています。
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リバビリから再就職へ
短期アルバイトの契約が終わり自分に自信がついたわたしが「正社員」として再就職を果たします。
- IT関連(前職)と同じ仕事ではないこと
- 通勤時間が短くて通いやすいところ(なるべく過去の勤務地より離れた場所)
- 自分の興味や好きなものを扱っている職種
このルールに従って選んだのは「不動産」の営業でした。
不動産といっても「賃貸物件」のカウンターセールス。アパートやマンションのお部屋を借りる時に行く街の不動産屋さんです。
私が「建築物」オタクで「いろんなお部屋をたくさん見れる!」というあまりに単純な理由で選びました。
何社か面接に行き未経験でもやる気があればOKと大手不動産会社に採用されました、いまはもう無い会社です。
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業界的に中途採用が多く、入社した会社(仮にA社とします)も同じでした。
本社での研修のあとに本社直轄の営業店へ配属が決定、通勤も電車で10分。意気揚々と配属先に着任すると事態がいっぺんするのでした。
A店(仮)は店舗責任者の男性店長と営業2名(男性1名/女性1名)、そして私。
エリアマネージャーAさんがたまに偵察にくるがそのときはみんなニコニコ仲良しアピール。
しかし、店が終わると成績が悪かった男性社員への叱責が始まる。
温厚そうにみえた店長がゴミ箱を蹴り上げて関西弁のハードめなやつで罵るのです。
オーマイーガー!まじかよ!!!二重人格じゃんか!
はい、お分かりの通りブラックです。
しかもなぜか女性の先輩が同じことをしてもおとがめはなし。
おかしいなと思ったら店長の彼女だっていうからもう「怒り心頭」ですよ。
ずるいじゃん!公私混同じゃんか!
他にもよくわからない店内のルールに縛られた
・コートは冬でも着ちゃダメ。雪の日も。(スーツという会社の決まりだから)
・ほかのエリアと仲良くしちゃダメ(ライバルだから)
・移動は走る!なんでも素早く!
おうおうおうおう!なんじゃそりゃ~!
会社や部署、学校などのブラックなルールってありませんか?ブラック校則とかよくニュースになっていましたよね。
誰がきめたかわからないなんの生産性もないルール、まったく理解できないものってありますよね。
理不尽なことに対して我慢しないタイプの私はある日、隣のエリアとの合同懇親会(飲み会)に「行くな」と言われていましたが、無視して参加。
「酔ったフリ」をしてすべてをぶちまけました。
会に参加していた隣のエリアマネージャーB氏や社員たちは驚く。
そりゃひどいわ!コート着ないで風邪ひいたらどうすんのよ?おかしいよ?
あー、やっぱり私は間違いじゃなかったんだ!
そそくさとその場を後にして、その足で本社まで行き人事部長のもとへ殴り込み。
すべてぶちまけて「面接でこんなことは聞いていない!こんな理不尽な会社辞めてやる!」と啖呵を切って帰宅。
翌日事件が起きました。
何もなかったように出勤するとエリアマネージャーAさんと隣のエリアマネージャーBさんが何やら店の奥で店長と話している。
私に気が付いた2人のエリアマネージャーに「ちょっと外で話そうか」と言われてファミレスへ。
あらら、これってクビ通知だ!ま、いっか、次さがそ!
そんな気持ちでいたら2人のエリアマネージャーから「嫌な思いをさせて申し訳なかった」とまさかの謝罪。
唖然ですよ。
そして配属10日目で店舗の異動。飲み会に来ていた隣のエリアマネージャーが管轄する店舗に明日から来てくださいというお達しが。
少し遠くなるといっても通勤時間が5分長くなるだけ。
言ってみるもんですね、やってみるもんですね。
ここから第二の会社員人生のスタートとなりました。
異動先での仕事とエリアマネージャーの狙い
異動した店舗は「住みたい街ランキング」で常に上位のエリア。
異動先の店長と新しいエリアマネージャーは平社員のころからの仲だそうで、A店での悲壮感と叱責飛び交う「陰」のイメージとは真逆。
メンバーは先輩の男性が2名と女性が1名に私。
これまでは掃除やらコピーやら配車などの雑用がメインで接客の場面に立ち会うことがまったくなかった。
新しい店舗では雑用はみんなで行い、店長が「どんな風にお客さんと話しているのかそばで聞きながら一緒に会話に入れそうなら入ってごらん」とアドバイスをくれるなど的確な指導をしてくれた。
聞いたら全国トップの成績を何度もとっている店舗で個人の営業成績もみなトップ。
「立地がいい」というだけではない理由があるんだなと感心しつつ少しずつ仕事を覚えて充実した毎日を過ごしていました。
これこれ!私が描いていた仕事像よ!楽しい♪
3か月が過ぎたころにようやくひとり立ちするように言われて売り上げの目標を設定される。
そんな時にエリアマネージャーBからこんなことを言われた。
自分の母親は保険のセールスをしていて、成績もよくてかっこいい存在だった。これから女性も活躍できるとポモ子が証明していけるように一緒にがんばろう!
めっちゃ響いた。モチベーションが上がりまくった。
この後の3か月の記憶がないけど走って走って駆け抜けて私は全国約1000店以上、10000人以上いる営業マンのTOP3まで駆け上がった。
ちなみにこのときの1位は社長のお膝元の1号店の女性の営業だった。
本当に悔しかったことだけ今も覚えている。
その頑張りが認められて、入社半年で「副店長」の役職についた。
出る杭は打たれる
順風満帆に見える単なるサクセスストーリーならいまこの話はしていない。
目立つということは良いことも悪いこともある。
順位がつくということは誰かを押しのけるということになる。
営業担当の社員の男女比は「9:1」、これはエリアによるがわたしの所属していたエリアは約90名の男性に対して女性はたったの4名。
役付きは私だけだ。
幸い色仕掛けができるほどの器量がないので「女を武器にしている」というやっかみはありませんでした。(悲しいけど)
どちらかというと「女のくせに生意気だ」系のハラスメントがほとんど。
同じ駅の周囲に系列の店舗が複数あったので異動した時にエリアマネージャーは「はじめての女性の店長を誕生させたいんだよね」と夢を語られる。
いやいや、無理無理、やっかみがすごいのよ!
そんなの仕事できないやつのたわごとだから気にしなくて大丈夫だよ、ムシムシ!
いやいや、ちょっとー!
単にハラスメントだけなら証拠などを集めれるなど対策をして対抗できたのですが、営業の成績が良くなるとともに事後処理の事務など関連する仕事もどんどん増えていき私を苦しめていくのです。
「過労死ライン」超過の時間外労働月160時間のはじまり
営業の仕事はただ契約をとるだけではないというのが当時の会社のシステムでした。
私がやっていたのは「仲介」する仕事なので、お客さんと大家さんやオーナーとを仲介するというポジション。
契約を締結してはじめて完結する。
ただ、物件を案内して終わりではなくて調整することや書類の作成などの「事務処理」も行います。
契約を取ればとるほどこの「事務処理」の数や管理も増えてしまう。
営業時間内はお客さんの接客や物件周り。
閉店後に事務処理。正直言って一人で時間内に終わる量を超えていました。
時間外労働がだいたい7時間だが、会社からは「みなし残業」と扱われている分と労働基準監督署ににらまれないために申告できない「サービス残業」のためもちろん超過した残業代はでません。
仕事が遅いから残業するやつに「残業代」は出せない、という理論だそうです。
せめてお昼の休憩時間もないのだからその分はほしかったなあ・・・。思い返すと半年以上「ランチ」など口にしてなかったですね。
お弁当のフタを開けて、割りばしを取り出した瞬間に「接客おねがいしまーす!」と呼び出されていましたね。
そのため閉店後に遅めのお昼ご飯をたべていました。
これを週5日。さらに定休日以外に別で1日休みがあるが、職場からの連絡が入るので家でも仕事をするのは当たり前でした。
<参考記事>過労死等防止対策が20年ぶりに改訂(厚生労働省)
過労死等防止対策
近年、我が国において過労死等が多発し大きな社会問題となっていますが、過労死等は、本人はもとより、その家族のみならず社会にとっても大きな損失です。
そうした中、過労死等の防止のための対策を推進し、過労死等がなく、仕事と生活を調和させ、健康で充実して働き続けることのできる社会の実現に寄与することを目的として、平成26年11月に「過労死等防止対策推進法」が施行されました。また、この法律に基づき、政府は、過労死等の防止のための対策を効果的に推進するため、「過労死等の防止のための対策に関する大綱」(令和3年7月30日閣議決定)を定めています。
引用:厚生労働省ホームページ
消えた休日、消えた仲間
週休2日という契約で入社しましたが、10カ月後には週1日しか休みがない状態になりました。
定休日に出社して事務処理をしたり営業をするようになりました。
もちろんエリアマネージャーは知っています、黙認です。
過重労働による肉体的な負担にくわえてさらなる重圧が私を襲います。
それは超パワハラ店長との対立の日々です。
同じ駅の周辺で系列の店舗がいくつかあったので配置替えがありました。
そこでも副店長のポジションだったのですが、配属された先の店長が”要注意人物”だったのです。
なんでこういうハズレをひいちゃうのかな・・・
この配置変えにはいくつか狙いがありました。
じつは私の後輩で同じように女性の店長候補として育てていた人物が「ストレス性の視力障害」になってしまったのです。
彼女の症状は視界がぼやける、良く見えない状況で文字はもちろん運転なんか絶対にNG。
長期離脱となってしまいました。
原因はこの要注意人物のパワハラだったそうな。
ここでエリアマネージャーからはどんなパワハラが行われているか調査したうえで降格もしくは異動させたいという話でした。
IT企業での「人員整理」をさせられていたころがよぎりました。
私の答えはもちろん「NO」でした。
とてもじゃないですが、そんなことまで手がまわりません。
しかし、エリアマネージャーは「必ずやばくなったら助けるから!」とほぼ強引に配属を決めてしまったのです。
ああ、ついてない。しんどいけどやりがいあるし仕事嫌いじゃないのよね。とほほ。
パワハラの恐怖
「要注意人物」である配属先の店長はこんな人物でした。
- 男は鉄拳制裁、女は泣くまで許さない
- 男尊女卑
- すべて成果主義だが、できてあたりまえだからできない人に厳しい
- 生産性のない行動、精神論が多い
ちなみにこの店長はまだ20代後半だったと思います。内容だけみるとちょっと・・・ね?
店長が営業マン時代は成績が良かったわけではなかったようで、自分より成績がいい女性に対しての執着が異常だった。
これで後輩も体調を崩してしまったし、異動していった別の女性の先輩もひどくつらい思いをしたと教えてくれました。
配属してすぐに私も洗礼を受けます。
契約はとれて当たり前、とれないと叱責。次回につなげるための分析や改善というよりもただひたすら責められるという何も生産性のない時間が続きます。
時には接客している最中に割り込んでくるなど段々と足の引っ張り度合はエスカレート。
ちょいちょい、邪魔だけはしないでよー!
営業方針で一度口論になりましたが、ほぼ恫喝のような状態で「泣けよ」という姿勢でにらみをきかせてきましたが私は屈しませんでした。
エリアマネージャーB氏にさすがにひどいと逐一報告していましたが、なかなか行動に移してもらえないままこの問題のある店長のもとを新人や後輩がボロボロとさっていきました。
すまん。私はなにもしてあげられなかった。。。
そんな後悔と相変わらずの激務、変わらないストレスだらけの職場で3か月すごしていた時でした。
お正月の休みが終わり、会社に行こうとした朝。
わたしの体が動かなくなりました。
2度目のドクターストップ
いつもの時間に目が覚めて起き上がりベッドに腰を掛けて・・・
そのまま5分すぎ、10分がすぎ、いくらたっても立ち上がることができないのです。
気が付いたら始業時間15分前。
店長に連絡することだけはどうしても嫌でした。
ひとまずエリアマネージャーB氏に連絡、病院に行きその日はお休みをもらいました。
心療内科にすぐに連絡をして受診。
これまでの事や今朝の事、「もう無理かもしれない」という思いなど話しているうちにボロボロと涙があふれてきてたくさん鼻水をたらしていた記憶があります。
先生が「もう無理しないくていいのでは?診断書だしましょうか?」と言ってくれたことで私は「休むことができるんだ!逃れることができるんだ!」という安心感を得て家に帰りました。
その日の夕方に再度エリアマネージャーB氏に連絡して診断書の話をしました。
次の日もお休みを頂き電話だけは出れる状態にして家でひたすら眠りました。
3日後に社長がくるのでその時に進退の話をしてほしいと連絡があったので診断書と退職願を持っていき、受け取ってもらいました。
この時に「休職」を考えなかったのはこの会社に戻る気がなかった、もう関わりたくない思いが強かったから。
今思えば「傷病手当金」の申請をしておけばよかったなと思いますが、そもそも「休職」というシステムがあったのかも疑問です。
まとめ
環境やハラスメント、いじめなど様々な精神的ストレスもつらいです。
しかし、過重労働によってカラダが悲鳴をあげてしまう場合ももちろんあります。
これが重なると本当に悲惨です。
過労死のニュースもあり、現在は働き方改革と言われていますが実態はわかりません。
厚生労働省が定める「過労死ライン」という目安があります。
あきらかに不当な労働環境、待遇の場合は労働基準監督署が行っている「過重労働解消相談ダイヤル」という無料の電話相談、メール相談窓口があるのでそちらを利用してみることをお勧めします。
厚生労働省HP
過労死の防止に関する情報、相談窓口などがまとめてあります。
「過重労働解消相談ダイヤル」として厚生労働省が設置した電話相談窓口があります。
またメールでの相談窓口もあるので、「おかしいな?」と思ったら一人で悩まずに相談してみませんか?すこしでも気持ちが楽になるかもしれません。
適切な対処法などのアドバイスを受けることができるかもしれないのでまずは一歩進んでみることをお勧めします。
そしてなによりすぐに改善の見込みがなく、体調が悪いと思ったら
休んでください!もしくはにげてください!
会社にとってはあなたのかわりはいますが、家族や友人、恋人にとってあなたのかわりはいないのです。これは大切なこと。だから何度でも言います。
無理だと決めないでくださいね。
同じように苦しんでいる人がいたらどうか一声かけてあげてください。
「大丈夫?」ではなく「すこし休もうか?」と。
私はこのあとしばらく普通の生活をおくることもままならない状態になりました。
どうか同じようにつらい思いをする人が増えないでほしい、そう願います。